この記事は若手歯科医師に向けて書かれた記事です。
注意
このブログの内容は客観的事実に基づき執筆しておりますが、特定の医療行為、手技、手法を推奨するものではありません。
残念ながら医療行為に100%の成功はあり得ません。時に患者様の不利益に繋がることもあります。しかしその可能性を極力低くするための努力はできます。
論文などからの知識のアップデート、長期経過からのフィードバックを得て、患者利益の最大化に努めるべきです。その一助としてこのサイトを活用していただければと思います。
なお、全ての臨床写真は患者様の掲載許可をいただいた上で掲載を行なっております。
✔︎ 本記事の信頼性
【参考:自身の回顧録】自分のキャリアをどう築いていくか
今回も前回と同様、自分自身のこれまでを振り返り、どう歯科医師として成長していくべきか。そういった内容について書いていこうと思います。
自分もまだまだ成長過程にある身なので、大層なことはお伝えできないのですが、自分でもこれまでのことをしっかり振り返って、これからにつなげ、これからの歯科人生を歩む歯学部生などの参考に少しでもなればいいなと思っています。
前半では大学卒業から研修医後までを振り返っています。
【どうやって選ぶ?(前半)】研修医先の選択について
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【最初に行ったのは山形の予防歯科の医院】自身の卒後勤務先選択について
研修医終わりの勤務先は、今後の人生において大きな影響を及ぼすだろうなと思ってかなり悩んだのを覚えています。
結果から言うと、最初に勤務したのは山形県にある、予防を中心にやっている歯科医院です。今やっていることとは全く逆のところに強みのある医院です。
そのきっかけは、学生のときにプロフェッショナル仕事の流儀や、カンブリア宮殿にも出演された、予防で有名な先生の授業を受けて、感銘を受けたことにあります。
その先生の講義が研修医の時にもあり、その際に直接お声がけし、その先生の医院を見学させていただく機会を得ました。
その時はタイミングが合わず、その先生のところでの勤務は叶いませんでしたが、同じやり方をしている、その方の右腕のような存在の先生を紹介していただき、その方のもとで働かせて頂くこととなりました。
自身は祖父から続く歯科医の家系で、自分が継ぐと三代目になります。祖父の仕事っぷりはわかりませんが、父は様々な勉強会に参加するためにわざわざ岩手から新幹線に乗って東京のコースを受講したり、とにかく仕事に熱心な人です。
そういう時は自分の一人暮らししているアパートに泊まって、勉強会に行っていましたので、朝早くから夜遅くまで勉強していたのを覚えています。
ときには父親の講習会場に出向き、同じ受講生の先生方の紹介をしてもらいました。
そこにいる先生方ってすんごいギラギラしていて、その当時の自分はなんかこんな先生たち嫌だなーって思ってしまってました。
その当時最も勢いのあったスタディグループでしたし、ちょっと学生には刺激が強すぎたんですかね。
そういう背景もあって、ああなりたくないし、どこか父親と違う道を選択しようという思いがありました。
そのスタディグループがやっている事と予防って、ほぼほぼ真逆のアプローチだったので、余計に予防の話が自分の中に入ってきたんだと思います。
かなり悩んだんですけど、そういったことから、予防の道に進むことを決意しました。
【東京から山形へ】1軒目の勤務先
東京から山形まで引越し、新生活が始まります。研修医上がりってほとんど何もできないので、勤務当初は本当に迷惑をかけたと思いますし、優しく、丁寧に指導していただいたことを覚えています。院長先生は本当に素晴らしい人格者でした。
技術もさることながら、患者さんとの接し方っていうのが予防の歯科医院って本当にすごいんです。
予防って、いかに患者さんに毎日のケアを適切にしてもらえるかが大事になります。3ヶ月に一回メインテナンスにきてくれる熱心な患者さんであっても、結局プロフェッショナルケアができるのは365日中のたった4日です。
残りの361日は患者さんに頑張ってケアをしてもらわないといけません。
つまりいかに患者さんの行動変容を促せるかが、予防を中心に据える歯科医院の肝要な部分になってきます。
そんな中で患者さんとの接し方というものを徹底的に叩き込んでもらい、それと同時に一般的な歯科治療に関しても徐々により短い時間で、より質の高い医療を提供できるようになっていったと思います。
勤務して2年を迎えるくらいだったでしょうか。一通りの診療、患者さん対応ができるようになってきた頃、自分の中にモヤモヤっとしたものが生まれてきました。
【2年半での突然の転機】1軒目の歯科医院の卒業
先ほど述べた通り、予防は、生涯にわたって自分の歯で美味しく食事をとってもらうということを目指しています。
そのため予防を究極的に詰めていくと、小児からの清掃指導や、食事指導などになっていきます。初めから虫歯で生えてくる歯はないので。
では、今もうすでに歯列の崩壊が起きていて、その回復が必要な人に自分は何ができるか。
それに対する術を自分は持っていなかったし、そういった全顎的な治療が必要な患者さんは紹介先で治療を受けてもらっていたので、せっかく仲良くなって、患者さんのデンタルIQもめちゃくちゃ上がってたのに、患者さんと最後までお付き合いできない。という現状が続いていたのが、そのモヤモヤの正体でした。
そういった悩みを抱えてしばらく診療にあたっていましたが、ついに耐えきれず、その悩みを院長にお伝えすると、
「先生は勉強熱心だし、ここで教えられることはほとんどないから、もっと長く一緒に働きたかったけど、次の医院さんなのか、ご実家なのかわからないけど、次にステージに進みなさい。」
というようなことを言っていただきました。生意気な自分が嫌だっただけなのかもしれませんが、本当に深い理解を示していただきました。
たった2年かそこらで、十分な還元もできないままの卒業を認めてくれた院長に今でも感謝しています。
【ペリオインプラント専門の歯科医院へ】
自分が求める技術を学べる場所として選んだ場所は、かつて自分が嫌だと思っていた、そういうギラギラした先生たちが集まるようなスタディグループの創設者の歯科医院でした。
毎日インプラントや歯周外科やら、何かしらオペがあるような医院です。間違いなく日本の中でもトップクラスのレベルと実績を持つ医院であることは客観的に見ても異論はないと思います。
それだけレベルの高い医院ですから、求められるレベルもすごいものがあります。今でもその医院に勤務していますが、本当に毎日のプレッシャーがすごいですし、患者さんのより高い要求に応えるために必死に努力を続けています。
昔、父親の勉強会を見にいった時に、何もわからなかった当時の自分がギラついていて嫌だなと思ったのは、自分が必死になってやっていないから、そういう貪欲に知識や技術を得ようとする先生達の圧倒的なモチベーションに気圧されていたんだなと今なら思います。
患者さんのために必死になれる先生はそういった姿になると思います。今の自分を昔の自分が見たらそう見えるんだろうなと思います。
【その場その場でできる最大限の努力を】薄っぺらいアドバイスでごめんなさい。
ここまで長々と自分の歯科医師人生を書いていきましたが、やっぱり学生の頃に描いていたキャリアと今は全然違うし、何よりめっちゃ貧乏です笑
でも一つの後悔もないし、毎日毎日、歯科医師として働けることが何よりも楽しいです。
まだ全然名前も出てないし、全然説得力ないんですけど、自分のことばっか書いてアドバイス全然できてないので、唯一言えることとすると、
若いうちはお金を求めない方がいい。
ということでしょうか。卒業したての頃ってやっぱり周りとの比較をしがちだし、数字として見えるお金っていうのは一番目につくところだというのも事実かと思います。なんか急に派手になる人もいますしね。
しかし、経験と共に質の高い治療を提供できるようになる我々が、未熟なうちに自分の価値以上の対価を求めるっていうのはマイナスな側面の方が多いと思っています。いろんな事情があると思うので一概にそれがダメだとも言えないんですが。
アドバイスとしてめちゃくちゃ薄いし、ありきたりなんですけど、どこに勤めるかという問題は、自分が本当に興味を持っていることに耳を傾け、色んな知り合いや先輩などから話を聞き、その時の自分が一番いいと思えるところを選べばいいと思います。
それで、その選択が間違ってなかったと思えるように、あとは努力をするだけです。その努力は誰かが必ず見ててくれるし、そういう人が道に迷った時には必ず誰かが手を差し伸べてくれます。
必要以上の恐れを抱くことなく、その時いる場所でできる最善の選択をすることだけ考えましょう!!
今日も最後までお読みいただきありがとうございます。