※一部掲載の写真は宮川順充先生のインスタグラムより引用し、許可を得ています。
全2回の2回/1回
前編では宮川先生と遠藤航選手のいろいろな話を書いていきましたが、ここからマウスガードの話です。
一般的に思い浮かべるマウスガードはラグビー選手や、格闘技選手がつけている上の歯を全て覆っているもの。
これらはプレイヤーが受ける強い衝撃から守るために使用されているわけですが、
それってほんとに守られてるの?っていうのが今回の話です。
知れば知るほどに見えてくる現在のマウスガードの持つカタチ。
宮川先生の視座から見えてくる新しいマウスガードのカタチは、スポーツ歯学界に大きなうねりを生み出しています。
【マウスガードは何のためにするのか】EVAはその要件を満たしているか
マウスピースは格闘技やアメフトなどのコンタクトスポーツでは着用が義務付けられており、外傷予防、あるいは脳震盪予防などの顎顔面領域の保護目的で用いられています。
材質はEVA(Ethylene-Vinyl Acetate copolymer)やポレオリフィン系、ポレスチレン系などがあり、最も用いられるのがEVA系になります。
これらの樹脂には衝撃吸収性があることから、外力に対し、保護ができると考えられています。
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いや、ちょっと待った。こんなに変形しちゃったら、歯もぐちゃぐちゃになっちゃうじゃん。
ってことで、衝撃吸収性っていうパワーワードに引っ張られるけど、それは物質の持つ特性で、構造としてその特性は活かされていない側面があるわけです。
長くなるので割愛しますが、マウスガードに求められるのは衝撃吸収性ではなく、歯を守るための剛性です。
しかしながら、基本的にゴムみたいなEVAは薄いと剛性は出ないし、剛性を求めるとかなりの厚みが出て装着感が悪くなってしまう。
様々な改良を続ける中、このトレードオフの関係を打破する新たな材料が見つかりました。
【新しいマウスガードのカタチとは】”サッカー専用上下独立型完全オーダーメイドマウスガード”
軽くて、高い強度。この要件を満たす素材は、航空機などにも用いられることでも有名な、そう、カーボンファイバーです。
カーボンファイバー、別名炭素繊維は高温処理によって作られる特殊繊維で、重さは鉄の約4分の1にもかかわらず、強度は約10倍、硬さは約7倍を誇ります。
用途に合わせて様々な形状に成形できるのも特徴で、これら特性をもとにマウスガードへの応用を試みていきます。
これにより薄くて違和感が少ないながら、剛性を担保したマウスガードが作成可能になりました。
しかしサッカーというスポーツへの応用にはまだまだ多くの障壁がありました。
【下顎前歯に外傷が多い】サッカーにおける特徴的な動きとは
統計を見ると、外傷での歯牙破折は上顎に多いという報告があるものの、宮川先生はサッカー選手に限っていうと、下顎の前歯に多い実感があるとのこと。
そこにはサッカーというスポーツが持つ動きの特性があります。
サッカー経験者なら想像に難くないと思いますが、競り合いの中でボールを取られまいとする相手選手の手、肘などが下の歯に当たることがよくあります。
写真のように、ボールを持っている選手は相手の侵入を阻んだり、バランスをとるために手を広げますよね。
また、基本的に有酸素運動であるサッカーはプレー中に口を開けていることがほとんどです。
この結果として振り上げた腕が下顎付近に当たりやすいという状況が生まれます。
口を閉じている状態ならまだしも、上顎のみのマウスガードで下の歯は守れない可能性が高いのです。
【マウスガードを下顎にも】トライアンドエラーの日々の始まり
(写真)最初は上顎のみにつけていたマウスガードでしたが、下顎前歯の保護の重要性から上下別々のマウスガードが生まれました。
設計の基本原則はあるものの、あとは選手が実際に使ってみてどのように感じるか。それによって様々な改良がなされていきます。
ここは覆ってほしくない。ここが当たると気になる。逆にここは当たっていないと気になる。。。
遠藤選手からのフィードバックはものすごい量と細かさだったようですが、それを反映してまた使ってもらって、また意見をもらう。
全てを聞き入れ、試合のたびに新しいものを作っていった結果、100個に届きそうな数になったのです。
現在ではある程度完成形に至っているようですが、今だにマイナーチェンジは続いています。
【1%でもパフォーマンスの向上は望めるのか】マウスガードの迷信
前編でも書いた通り、プロのトップ選手はパフォーマンス向上のためなら何でもする。というメンタルを持っています。
しかしながら、マウスガードの装着によってパフォーマンスは向上すると言えるのか。
結論は、わからない。あっても個人差がある。です。
実際に今から40年くらい前の1980~90年代にはマウスガードとパフォーマンスに関する論文がたくさん出ました。
しかしながら、”効果がある!”というのと”効果はない!”という論文で意見は二分。結論は出ないまま、研究自体が下火に。
傾向としてのパフォーマンスが上がりやすい人、そうでない人は経験値としてわかってきているようですが、科学的に証明されたものはありません。
よって、まだわからない部分も多いですが、個人的には顎位、メンタルという観点から、パフォーマンスの向上に寄与する可能性は非常に高いのではないかと思っています。
【顎を前に出したり、舌を出したり】パフォーマンス時に人は食いしばるのか
少し難しい話になりますが、総入れ歯や全体がボロボロの方の治療をする際に、我々歯科医師は顎位というものを非常に気にします。
文字通り顎の位置なのですが、この位置は顎自体の形や、それに付着する筋肉、神経、歯など、様々な要素が絡み合って決定されます。
人によって骨格は異なり、関節や筋の構造も十人十色です。よって、この顎位というのは千差万別。
上の写真からもわかるように、皆様々な位置に顎を持っていっており、少なくとも、誰も食いしばっていません。
マウスガードって食いしばるためにつけるってイメージがありますが、動的なスポーツにおいて食いしばるシーンというのはあまり無いのです。
スポーツ中の顎位の役割は、全身のバランサーとして働くっていうような話をされていて、これは咬合と姿勢の関係とかでもよく聞くからすごく腑に落ちます。
緊張とかでガチガチに体が固まっている時っていいパフォーマンス発揮できませんよね。
このことから、宮川先生は、選手それぞれのプレー中の顎位を検証し、その選手が最もリラックスできる顎位でマウスガードを作成します。
顎位とパフォーマンスの関係というのは今後様々な研究で、明らかになってくるかもしれません。
【守られている安心感】身体的ではなく、精神的な効果はあるのではないか
依然として身体的なパフォーマンスが向上するか否かは不明な点が多いですが、メンタル面からくるパフォーマンス向上についてはどうでしょうか。
遠藤選手は、”これで守られている感じがするから競り合いにも躊躇することなく飛び込めるし、アグレッシブなプレーを厭わないメンタルが保たれている。”と述べています。
ここも個人差が非常に大きい部分だと思いますが、遠藤選手においては、マウスガードを装着することが、メンタル面の向上(安定)に寄与している。ということが言えるのではないでしょうか。
また、個人的に重要だと思うのが選手自身がそれをつける意味や、メカニズムについて深く理解しているか。という点です。
なぜ使う意味があるのか。使うことによってどのような効果を得られる可能性があるのか。これらのことを遠藤選手は宮川先生から事細かに説明を受けています。
この理解があったからこそ、装着時の違和感などを超えて効果を感じるられるようになったのだと思います。
これらのことから、マウスガードによって安心感を感じる。と思える方はメンタル面の向上という観点から、パフォーマンス向上の可能性があると考えます。
【まとめ】これからのサッカー界に貢献するために
長くなりましたが、宮川先生のマウスガードはこれからの研究によって、スポーツ歯学に大きな影響を与えるのではないかと思っています。
そして最後にこの話を。。。
講演の終盤にシュツットガルトに在籍するチェイス・アンリ選手に関する話がありました。
聞けば宮川先生の娘さんと同い年ということで、アンリ選手は息子のような存在である。と。
高卒で渡独し、周囲の期待が高い彼ですが、置かれている状況は期待通りとは言えない現状。
ネットなどから厳しい声が宮川先生の耳にも入ってくる中、それに負けず挑戦し続ける彼を間近で見ていて、
微力であっても、こんなに努力している選手たちの力になってあげたいと思っている。
ということを声を詰まらせながら語られていました。
サッカーから離れて久しいですが、僕自身も歯科医師として日本のサッカー界に何かしら貢献できたら。という思いを持っているし、この新しい概念のマウスガードの研究が進み、広く知れ渡ることで、より良いパフォーマンスが発揮できるサッカー選手が生まれてくれたらいいなと思うのです。
多くの人に宮川先生のこういった考え方が広まり、研究が進んでいくことを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。